2010年12月8日水曜日

脳内音楽

演奏会のアンケートや、感想の中に「場内に…」という苦情が多いが
特に多いのは「子どもが五月蝿かった」「・・・が気になった」とかいう
話が多い。

もちろん演奏するのも生身の人間である。しくじることはプロでは
あまりないが、アマチュアはしょっちゅうだ。安っぽいホールでは椅子も
碌々管理されていないので、ぎちぎちという音がする。無料コンサート
では客を選ぶことができないので、酔漢が暴れるなどの話があった。

最近聞くのは、補聴器がハウリングを起こすという話。コンサートホールは
残響が大きいし補聴器からの音漏れをよく拾ってしまう。聴く側もピア
ニッシモを捉えたいと必死にゲインをあげるが逆効果になってしまう。

こういう例外的な問題は、すべて「ノイズ」という点に帰結する。

ノイズや、認知科学の専門家ではないので、細かい技術的な話は抜きにして
「人間の中で音楽を感じ取れるのは大脳」だということから、脳が音楽と
いうものをどう捉えるかに関わることについて、日々思いを巡らせている。

鑑賞する側はもちろん、演奏する側の脳内音楽というものがあって、
実際に耳に捉えられる刺激が音楽として理解されるかという点において
このノイズはあまり関係がない気がするのである。

 音楽を楽しんでいるのが大脳である以上は、その脳の中でフィルタされ
さえすれば、かなりのノイズをガマンできる。 いや、脳が記憶した音楽を
奏で続ければ、「空気を震わせる」音楽など要らないのだとも。

 演奏会では会場からもたらされる残響、低音振動などの要素があるが、
これらがむしろときおり不快なものにすらなっていることがある。ノイズ
としてではなく、音楽として自分の中に定義できてないモノもあれば、非
音楽的要素すらある。

 録音物、音楽媒体に加工して保存された演奏記録は、これらの非音楽要素が
クリアされているため、実際の音楽会場では、もっと多くの喧騒と非音楽的な
反響に満ちていることを忘れてしまう。 プロオーケストラの演奏会場を
自分のリスニングルームと勘違いして会場に赴く人たちが多いと聴く。自分の
耳の劣化に気がつかないレベルで、ノイズばかり気にしていることは、大変
もったいないというか、もちろん自分にも当てはまるけれど、神経質になり
すぎて楽しめないことがあることは、悲しむべきことだ。

 脳内での音楽的な感覚トレーニングを続けることは、音楽家を志すならば
絶対条件かもしれない。こういったコトは誰も教えないし、感覚で分かる人は
すでに天才である。 相手にどう聞こえるかを意識せずに滔々と自らの紡ぐ
音楽を相手に丁寧に渡せるかが鍵なのだ。 ノイズを忘れさせるだけの
脳内音楽を相手の中に転送する技術と言ってもいいかもしれない。 かなり
秘儀に近いものを感じる・・・。

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