2010年10月8日金曜日

私とドヴォルザークについて

今、序曲『自然の王国で』を聞いている。

これは三部作(自然、祝祭、愛)を通して描いたドヴォルザークの音楽的人間論。
その「自然」という人間が抗いがたい世界。それは田園風景ともちがう。

この曲は珍しくメロディはあまり多く詰め込まれてないけれど、どうにも印象深いものばかり。ドヴォルザークは色鮮やかな世界を作り上げられる19世紀最大のメロディーメーカー。ブラームスをはじめとして多くの作曲家が嫉妬したのだった。

きわめて平明な音楽だ。譜面もきわめて簡明だが、けっしてチェリストにとって容易であると言い切れない(笑)

今から何年か前に小金井市民オーケストラで演奏会曲目に取り上げられてまさに親しくなるまで弾いたのだけれど、やはりまだまだ落ち着いてその色合いを感じ取れるまでに至らなかったことが悔やまれる。

そう。「もう、聞き飽きた」と云う曲はしばらく寝かせてから聞きなおすことは大切だ。

これに続く『謝肉祭』もミューザ川崎が出来たときにアマチュアオーケストラの集団に混ぜてもらって弾いた。 これもアマチュア・チェロ奏者にはそれほど易しくない世界だけれど、この曲を経験した辺りからト音記号の土地勘が付いてドヴォルザークが弾きやすく感じられるようになる。


交響詩『野鳩』も、蒲田で演奏会をするアマチュアオーケストラの末席で弾いたけど難しいんだよな・・・チェロパートは。 自然の王国のほんわか感世界とは正反対。暗くて暗くて・・・息苦しい。 第七交響曲の切迫感にも似るけれど、生命感に溢れる感覚ではなく
ここには薄ら暗い殺人の暗示がある。

いま聞いてみたいとは今思えないけれど、そのうち聞けるだろう。

ドヴォルザークは自分がその音楽を余裕を持って受け取る側に行けば行くほど嬉しくなってしまう要素に溢れている。 まだまだいろいろある。

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