2010年10月5日火曜日

音楽は他人のためにあるのかな

脳内音楽なら、別に他人に聞こえなくてもいい。
モーツァルト、ベートーヴェンは、きっと脳内で正しく鳴っていたはず。

要するにオリジナリティあるものを
取り出せるかどうかなのだけど。

一方で、ブラームスの音楽は違うらしい。 ヴィトゲンシュタインの洞察。
ペンの上で作られる音楽。 彼は音が視覚になって現れるのだろうか。
ただし、ピアノ曲に限っては自己の世界に没入している。
最近、ネヴィル・マリナーが、彼の師匠であるモントゥーがブラームスとピアノ
五重奏曲をあわせたときのエピソードを語っていたのを、NHKの番組で見たのだが
彼自身は自ら弾くピアノの音だけに集中していたそうだ。つまり自身のチェックが
もっとも厳しい人間なのだった。 晩年の枯れ木のような交響曲第四番の渋さは
当時若い木で芽吹いたばかりマーラーには理解できなかった。

晩年のドヴォルザークは? このヒトは脳内だけでなく全身からだろうな。
チェコを愛した彼の血が書かせるのだから、理屈を越えている。

大バッハの若い時の作品は、ドヴォルザークに近い感じがする。
家族愛に溢れた作品、親しい仲間内の音楽、耳から聞いたものを素直に。
敬虔主義に傾いた頃から神との対話になり、高度な脳内の音楽と化す。

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