2013年2月22日金曜日

モルゴーア/21世紀の精神正常者

しばらく下書きのままに放置されていたので出してみる試み。 浜離宮ホールが異様な音響に浸された夜。 何の変哲もない弦楽四重奏の形式で。

モルゴーア・クヮルテット 20周年目に、ついにというか今までやりたかったモノを蔵出しし始めた感じがする。

僕自身は15年前にイイノホールでの演奏会が印象に強い。 少しずつショスタコーヴィチのQuartet全作品を極めようという、この弦楽四重奏団の野望は、いつの間に叶えられてしまった。 

思えば、わが豚児も15年前の演奏会の翌日に生まれた。 嵐の日だった。 子供が生まれて、アマチュアのオーケストラ活動が一時期遠くなり、荒井先生とは縁遠くなったと思ったら、最近、また荒井先生の門下の方とお近づきになるチャンスがあった。それからモルゴーアや風天雷舞などの演奏会、いや荒井先生の息吹を感じさせる何かが近づいて来た。  ジャンルを超えた音楽に対する敬慕、熱い思いが、恐るべきアンサンブルテクニックで繰り出されているこの演奏は、21世紀の精神正常者たち で聴くことができる。 ぜひ聴くべきだ。

ペ・ヨンジュンがマーラー、ロッシーニ、バッハ、モーツァルトって何。

BYJ Classics/The Scenes-Art ・・・うーむ、この路線で来ますか。ちょっとびっくりしたので張ってみた。

2012年6月20日水曜日

プレーンガット・チェロ そろそろ半年。

そろそろプレーンガットを張ってから半年になる。

経験がない弦の種類で、周りにも経験者が少ないため手探りだ。
合奏団体にいれてもらったけれど、ガット専門のチェロの先生の
下に就かないとわからないだろう。

モダン楽器のガット化にはいろいろ難があるという説がある。
一度だけ馴染みの楽器工房に見てもらったけれど、特に問題無いといわれた。
ドイツの工場製品で、30年前に作られた楽器。昔は高い音が余り魅力的で
なかった。 今は良く鳴るようになって来ている。やはり調整もあるし、
駒がこなれてきたりと色々とある。

ガット弦を張るにあたっても、ヴァイオリンくらいセンシティブなもの
になると、テンションと楽器の反りを調整する必要があるため、一概に
モダン楽器をプレーンガットにすると問題が起きるという話がある。
でもチェロの場合はどうか?

季節の話、まだ夏を越したことがないからエラそうなことは書けない。
でも冬場に比べてコントロールしやすいように思う。多分温度差だろう。
どんなに暑い日でも摂氏50度は超えない。室内は20度以下にはならない。

大体こうなると、楽器は25度から40度の環境に置かれると思われる。
40度というのは、日当たりのいい場所を避けても起こりうる最悪の場合
であってそこまでは上がらないだろう。


弦にとっては、冬場の方が結露したりするために表面に水分を含んで
しまいおかしな状況になる方が辛いと感じた。これは練習場に持ち込んで
暫くは音程が定まらないで困るという経験を冬場続けていた事による。


でも夏場は逆だ。弦は温度が上がっても水分を吸収することは少ない。
今使っているのは、2月くらいに注文して数週間張って使っており、
表面コート(膠水だろう)が剥がれたが、その分オイル漬けにして
しっかり油で染ませてあるプレーンガットなので、水分が吸収される
ことはないとも思われる。結露が起きるとすればエアコンの効いた
部屋から暑い所に持ち出す場合だけれど、練習場所の方が、普通は
湿度が低いと思われるので、それほど差を感じなくなっている。

あとガット弦も少し古くなったので所謂枯れてきた状態なんだろう。
もう少ししたら新しい弦を買い、調整していかないと駄目かもしれない。

夏場、湿り気で、楽器がテンション負けしてオジキをする季節。
逆に冬場は楽器が乾いてテンションに拮抗して反り返る季節。
こんな話を聞いたことがある(説の正しさはわからない)

テンションと音程の関係は、弦の太さと重さに関係するため、
一概に言えないと思うが、明らかなのはプレーンガット弦は
スチールコア弦よりもテンションが小さいってことだ。
これは弦の芯材が軽いためだろうと思われる。その代わり
弦は太くて音量は小さくなる分音色はまろやかになる。

これが露骨に判るのは低音弦。C線などの振幅幅はテンションが低いから
力を入れて擦ると、スチールコアの倍くらい広がってしまう。
あまりに振れ幅が広いため隣の弦を摩したり指板を叩くこともしばしばだ。



一定の材質なら弦の太さ=重さなので 、すべての弦をプレーンにすると
G/Cはおそらくコントラバス弦なみになってしまい操作性が問題に
なるため、重さを加えるために巻線が用いられている。

弦のテンションと楽器の指板の問題はともかく、今は楽器への弦圧力
負担が少ないために、以前より夏冬の変化はないと思う。
無論、楽器職人に楽器を作ってもらっていれば、寸法変化などのいろい
ろ細かいことを聞けると思うが、未だその縁は訪れない。


昨日取り替えてシルバー巻弦と言われる弦。前回の使用後、
油漬にして保存したのだが、緑青が発生してそのままにしていたため
一部が黒緑色になっていた。仕方ないのでコンパウドで磨いたところ、
黒い酸化膜はとれてきたものの、巻は銅芯銀メッキ線だったらしく
赤くなってしまった。安い弦だから仕方無いようだ。

弦の値上がりが噂されている昨今、円高なのに日本から金を絞りたいのか?
ガット弦も自作の道に行かざる得ないか! 実家に弦制作工房を構えるか
真剣に考えてしまう。 まあ、まだ検討の段階。 何時? それ乞うご期待!

2012年2月11日土曜日

GUT!

昨年末にガット弦を張ってはや2ヶ月が経ちます。
どんな感じかと云いますと…

  1. 緩いです
  2. 左手楽です。
  3. 音程に敏感にならざるをえない。
  4. 大きな音、やっぱりでません。
テンションは全般に小さくなります。スチールは弦によるテンションに差があるようですが、すべてガット弦にした場合そういうものがなくなり、均等になります。

奏法に制約があるとすれば「斜めに無理やりテンションを加えるようなスチール弦で使える素早い立ち上がりを狙うボウイング」は全て禁忌です。というか出来ますがノイズがひどくなり使えません。

左手は素早い運指ができるようになります。テンションが小さいのでしっかり押さえるのに力は要りません。逆に生ガットは滑りが悪くなっているので、弦のメンテナンスが重要です。滑りと扱い傷からくる湿気を防ぐために保護オイルはこまめに塗布したほうが良いようです。

音程は、安定してくれば問題がなくなりますが、伸びきってしまうと死んだ音になるのはスチール弦と同じです。ただし生ガット巻線が無い所は傷がつきやすいため、そこが音程面で「スイートスポット」になるか雑音になってしまうか微妙なところです。

既にモダン楽器群の中で演奏会に乗ったりしましたが、安定した弦の状態なら遜色は感じられません。もちろんHIPな演奏に興味があるグループで演奏する方がかき消されてしまうことは無いのでいいと思います。

ヴィブラートに関して言うとユックリと小さな振れ幅しか得られません。元々合奏する際にはヴィブラートを使わなくても響きが豊かなガット弦で使わないほうが良いとされるわけですが。

2011年12月13日火曜日

ガット弦挑戦記 その1

前の投稿の続き。 とうとう届きました。ガット弦に挑戦の記録をつけます。
何の知識もない私が選んだのはPIRASTROのChorda。

インターネットも何もない時代だったら、あちこち苦労して探したのでしょう。
無論そんな時間も気概もない私には踏み出せない一歩。でもObligatoを買うくらい
なら、いっそのことガットにしてみようという気になりました。
そう。我々、西洋の弦楽器を奏するものが一度は挑戦すべきはナチュラルガットですよ。

・注文してみる

とりあえず安いのでいいから一セット頼んで見ました。インターネットで。
でも、どこのメーカーが良いのかもよく知らず適当に選んでしまいました。
後からTOROが良いとか色々聞き及びましたが、全般にガット弦の情報は少ない。

・手にしてみた。

挑戦したことのあるヒトから聞くと「音が変だから辞めてしまった」-「−すぐ切れた」と
いう話を聞きました。 入念にインターネットを調べると

『ナチュラルガットは、まずオイルに漬けて!』 という事が書かれていました。
英語のガット弦関連のフォーラムでも「メンテナンスオイルが得られているから使え」
という話。

ガットは要するに肉の腸詰を作る「ケーシング」の部分をより合わせたもので膠成分が主体。実際に手にすると『黄色いスパゲッティ」みたいなモノが丸まっています。

CHORDAの場合は、ADの弦2本はナチュラルガットそのまま。 ヴァーニッシュされ
ているのかよく分からないです。GC2本はシルバー巻です。 芯はガットでしょうね。

・油漬けにしてみた

とりあえず書かれているとおり「1日ちょっと」オイルにつけて見ました。10日も漬け
ろと書いてありましたがそんなに待てません(笑) 使う度にオイルを塗り直す様してみました。猫にいたずらされないように金属の箱に皿を入れて高い所で保管。

・張ってみた

ちょっと忙しい時に手を出して張り始めて、その手間にちと焦りましたが 
なんとかなりました。 問題は二つです。

 1. テイルピースのアジャスタを全部撤去
   2.  弦が当たるところの調整

 テイルピースと弦を取っ払う作業をしたら多分サウンドポストを調整すべきで
しょうが生憎とそういう道具を持ち合わせてないので楽器屋に相談しなくては。
 コマの方はとりあえず油を染ませて見ました。滑り材が仕込まれている駒です。
これも楽器屋で別途新しいのを用意してもらうほうがいいかも。

・弾いてみた
張って弾くのは翌日ですね。その日は使いものにならない感じです。どんどん延びる。
しばらく延びるでしょう。 毎日音が変わってしまう。今日で5日目ですがそろそろ
安定してくれると思います。

・チューニング

ペグだけでやるのはやはり疲れます。でもテンションがそれほど高くない感じです。

・アンサンブルに行ってみた。

段々と慣れてきますが、弾き方が難しい。斜めにこするとひどい音がします。縦方向
に動かすような弾き方はガットが許してくれません。 でもいい音もしてる気がする。

・弦のクリーニングは?

クリーニング剤を買えみたいな話がありますが、今は最初に浸漬させた時のオリーブオイルを塗っています。表面がササクレてくるのが怖い。とにかく軽い油を着けて表面を滑らかに抑えることが肝心なようです。これは生き物のコラーゲンだということを意識しないとだめです。ヴァーニッシュは多分透明なネイルカラーみたいな保護効果を狙ったものでしょう。ささくれが出来ないようにすると長持ちしそうな気がします。
というガット弦挑戦の最初の一週間目の報告でした。
 




2011年12月8日木曜日

11月末の演奏会と私の歴史について

私の育った小金井市のアマチュアオーケストラは2つ。その古参のオーケストラに
所属する私。今年でもう何回、演奏会でチェロ挽いたのだろう。数えてみる。
録音DATを某氏から預かった。Wavファイルにに出来ているものはある。
だめなものも多数あった。

その前に、今回のファミリーコンサートについて少し書く。
練習がこれまでの演奏会に比べて非常に短い期間(9月からはじめて11月末に仕上げる)というタイトなスケジュールであったにもかかわらず、本番ではチェロパートとしては80点〜90点くらいの仕上げになったと思えるくらいだった。無論、アマチュアだからがさつなものは残るが、それにしてもこの短期に、新人1名を加えてエキストラ多数の中、難曲と思うベートーヴェンの交響曲第4番に取り組んで崩壊しなかったのは奇跡的だった。私個人としては70点くらいの出来と諦めていたが録音を聴くと意外や意外!ウィーンホールという日本でも随一の音響効果を持つホールに助けられていい演奏会になったと思う。 こんなにいい演奏会だったのだから、もう少し宣伝すればよかった。

では、今までのチェロ戦闘の歴史を明かすことにする。

私が高校1年のことだ。 中学のOBが先輩風を吹かせてOBオーケストラに入れというのだ。彼らは強引に卒業したばかりの私や同期をOBオーケストラの演奏会に載せた。練習は滅茶苦茶だったし、まず選曲が酷かった。練習と称してドヴォルザークの交響曲第8番の譜面をいきなり初見で弾かせて弾けないと腹を立てるチェロの大先輩。オーディションを受ける覚悟でもないのにあんなものが碌々練習もできてない3年目の小僧に弾けるはずがない。 挙句、その曲ができないと悟ったのだろう、『魔笛』『ブルッフのVnコン』『ビゼーの交響曲』という曲になった。 この時のエキストラには後に出会うことになる。
学校が小平だったので、東村山の友達も多かった。その一人が東村山のアマチュアオーケストラに誘った。そこは今や、チェロの大先生が団長を務めるアマチュアオーケストラでチェロもたくさんいるオーケストラだが、当時はチェロが払底しており私よりもはるかに年上のアマチュアプレーヤたちがわずかに在籍していた。彼らはレイトスターターだったのだろう、私も、まともにレッスンについていたのが1年あるかないかだったわけで粗暴な高校生の私の雑音に耐えかねたのか、彼らは私が来るとすぐにもトップの座を明け渡してしまった。夏ごろから演奏会に向けてベートーヴェンの『英雄』の練習をしていたのだったが、折しも指導をしていた方が亡くなってしまうハプニングを迎えた。 チェロの彼らも次第に練習に来なくなってしまい、ひどい時期には私が一人で「チェロパート」を支えることになった。この時期から私のチェロ一匹狼状態が約束されていたようだ。 エキストラの方を数名加えての演奏会は、たしか『ピーターと狼』でこれはディヴィジョンで弾くべき重音が山のようにあったが、かじりついて弾いたものだった。またエキストラというよりはオーケストラ以外の小さなアンサンブルにもちょくちょく誘われて、バッハのブランデンブルグ5番のチェロ(一人)なども演ったような記憶がある。
この時期ドヴォルザークの交響曲第8番を演ったと思う。その際東村山に見えたエキストラのSさんとMさん(おねえさま方)のクルマに乗って食事をしたことを覚えている。その時私は見出されたのか誘われたのか?よく覚えてないけれど、彼女らが実家のある市内にオーケストラのメンバーだったことをこれ幸いと、チェロの居ない東村山のオーケストラから移籍することにした(逃げたとも云うだろう)。 その当時は何処に行くにもナイロンケースの楽器の袋に詰めて移動していた。歩くことばかりだった。自分の町のアマチュアオーケストラに所属することでようやく彷徨えるチェロリストはホームを持つことができた。未だ働いてもいない私にとって、オーケストラの練習に移動する費用だけでも厳しかったので、私が辞めることを止めることは出来なかっただろうと思われる。

小金井の歴史

第3回のファミリーコンサートは、中学の先輩が出るというので聞きに行った記憶がある。確かバッハの二つのバイオリンのための協奏曲だった。この時に市民のオーケストラ存在を知っていたが、中学生だった私はこの楽団に縁があるとは思っていなかったのだろう。実は当時から中学生が楽団にいた事を知っていたら、入団したかもしれない。

第4回ファミリーコンサート ← 1987年かそこらだ。高校生の時分。
曲は確かフィンランディア、カレリア、未完成…なんというか余り覚えてない。
第5回定期演奏会      ← 1988年春の話だと思う。(カセット録音がある)
曲は確かドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』とハイドンの『時計』。
練習回数の多さから、トップサイド(1プルト裏)というビックリなポジションに抜擢された。

第5回ファミコン 覚えてない。←ホームページから見た。省略。
第6回定期     ほとんど記憶なし。
第6回ファミコン
・・・ ええいめんどくさい。

http://www.koganei-civic-orch.org/rireki.vol6-10.html 

そうだ。10回までは確実に演奏会をこなしたはずだ。
11回辺りから少しずつ記憶があるというか、デジタル媒体での記録が
出てくる。


第11回定期  ← これはDATデータをWav化した
〔日時〕平成5年5月23日(1993)
〔会場〕ルミエール府中
〔指揮〕藤本 潤
〔曲目〕
シューマン:交響曲第4番
ドビュッシー:小組曲
モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲


第11回ファミ       ← このDATはデータが壊れていた。
〔日時〕平成5年11月28日
〔会場〕小金井市公会堂
〔指揮〕城谷 正博
〔ナレーション〕池本 実千代
〔曲目〕
ベートーヴェン:交響曲第1番
ビゼー:「カルメン」組曲
アンダーソン名曲集


今や、日本のクラシック音楽業界でも幾分名の知れた指揮者の名前がある。
1993〜1997年という時期は、エキストラを幾つもこなしていた時期でもう弾けないと思うくらいだったはず。自動車の免許を取得したこともあり、徒歩+電車+バスというチェロを担いで行くと辛い場所でも気軽に出かけて活動範囲が広がっていったのだ。 小平、清瀬、稲城、三鷹・・・ 正直この時期は年4回程度のペースを超えていたはずだ。仕事が忙しいので少し減ってはいたものの…

結婚。川崎に移り住んで、1997年6月に息子が生まれて仕事も忙しくなったことがあり、2002年までまる5年楽器を封印していた時期がある。この時期を過ぎると、この封印時期の反動であろうかエキストラを引き受けまくることになる。 2002年の第20回定期はほとんど記憶がないものの、シューマンの交響曲第一番だったことは覚えている。封印を解いた時期のチェロは鳴らなかったが、勘と腕は戻りつつあった。以前はトップだったのだが、後ろのほうで弾くことになったのも懐かしい思い出だ。この時期は川崎にもオーケストラがあり、ミューザ川崎が出来上がる事も聞いていたので、オーケストラに入ってみようという気になった。高津にはしばらくお世話になったものだ。この時期は二足のわらじ状態で土曜日・日曜日完全に塞がることが辛くなっていった。 2003年12月にミューザ川崎が竣工し、夏の演奏会と冬の第9が終わる頃には仕事に無理が出るほどになりつつあったので、これを機に高津をお休み(自然に退団)ということになった。今の自宅は高津が近いのだけれど。

2002年に、エキストラ活動が活発化した夏、これもちょっと弦楽器の難曲に数えられるシューマンの交響曲第2番に取り組んだ。今も良くエキストラでトップの方が来てくださる某オーケストラのエキストラだったけれど、当時新進気鋭の山田和樹氏の指揮で演奏会に。翌年はチャイコフスキーの第4交響曲という疲労困憊する難物をに取り組んだ。寒い時期に合宿に息子と家内同伴であったが、この時の印象が凄まじかったのか、我が豚児の将来が決まってしまったようだ。それはそうだろう。子供の世話を交互に見るついでに二箇所のオーケストラの練習に付きあわせたり、エキストラがあればそこにも連れて行くという事(音楽を聞いて静かにできる事が条件だったがこの条件がこなせるようになっていたこともある)がどれだけ影響与えたかわからない。

2005年ころからは、ミューザで知り合った方が、 2002年に山田和樹氏が振ったエキストラのオーケストラでも一緒だったことを知り、以来この方から多数のエキストラ紹介を受けることになる。あまりに多かったために私も全て回れなかったりした。有名ドコロを紹介されたけれど、エキストラも回り過ぎてカラダに支障をきたすほどだった私は、2007年頃からすべてのエキストラを断った。 この時期に小金井の関係でもエキストラ話しはいくつかあって、アマチュアだかセミプロだかよく分からないオペラに参加したこともあった。今から思えば不勉強極まりない事が何度も何度もあって・・・さらう時間も調べる時間すら無くて残念な物が多かった。エキストラやイベントオーケストラが嫌になったのは、自分のさらう時間も足らず、音楽に対する興味が涌かなくなるほどの忙しさがあったのだ。

2011年晩秋、小金井市民オーケストラは第29回のファミリーコンサートが終わって、本来ならば、記念すべき第30回の定期演奏会のための時期に入っているはずだったが、2011年3月11日の東日本大震災による影響で、2012年3月11日までは、小金井市民オーケストラ主催の音楽会をすることは見送られた。

僕の意見は『主催事業をやらないオーケストラは解散したも同然」だとおもう。 
だから第30回が連続して行われている定期演奏会として再開できるかは、3.11の
演奏会後の有志で出た皆の心と、出られなかった人々の気持ちが集まれるかどうか
だと思う。まあわずか3ヶ月だから…というが、僕はおかしな話だと思っている。

そして、僕は3.11のイベントに参加しないという選択肢を選んだ。

理由? 僕は『主催事業でないエキストラメンバーとしての小金井市民オーケストラの有志』であって実態は別な演奏団体がコアになるであろうという形式では満足ができない。しかも『Requiem』だ。 こいつはイベントもので載ったことがあるが、トップ奏者としてではなかった。トップの奏者連中は最後の頃に来て勝手なことをいうだろう。あんな演奏会までのやるせない練習はもう懲り懲りである。 そして、もめにもめている小金井のホールに関する限り政治的な色合いがないとは言えない。 オーケストラの規約にも随分と外れている。 私だけの経験であったとしても、イベントものは数回やって懲りた。『イベント一発オケ』の嫌な経験を積みすぎた僕は新しい団体に所属することで、ささやかな抵抗を示すのは間違いだろうか?

ガット弦と

ガット弦を買った

むふふ。来年からちょっと変わったことにチャレンジするのだ。
楽器は変わらないけれど、ガット弦を張るのだ。そうモダン楽器に。
それからガット弦の弾き方を研究しなくちゃならん。 なんとまぁ。

ホームのオーケストラは団体としての活動が宙ぶらりんになってしまっている。
主体性なき演奏団体がイベントオケに随身する人たちの集団に変わった。
それなら俺は別の所で別なものにチャレンジさせてもらう。
それが戦闘的テェロリストの生きる道だ。