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2010年10月14日木曜日

月曜日の練習を録音して聴いた。

私ども、東大和のハミング・小ホールを借りたのです。

普段は、比較的に響きも良い練習場ですが・・・・
さすがにホールだ、響き方が全然ちがいます。
天井の高い、広いホール。 
オーケストラの技量は常にホールに近い環境で
磨くべきだと思う。 反響板無しで吸い込まない
良い響きってのは、床に起因すると思う・・・

でもね。

"南国のバラ"
ばっらばらでしたね。

なんごくのばら
難曲のばっらばら。


修行が足りないつか、「何時も本番の緊張を持て!」

5年ほど前まで、私は、他所のエキストラやら掛け持ちを
良くしていたものです。

だから初回指揮者+初見とかで緊張したり、本番を駆けずり
回ってから、この 愛するべき、 "小金井市民オーケストラ"
つまりホームオーケストラの練習に来ると、ほんわかした=
なかば弛緩した練習ってのを感じてたんです。

そりゃ、ニヤリニヤリと楽しい音楽も良いですよ。 特に
お客さんを楽しませることを考えたら、絶対「しかめっ面」で
すごいだろう!ってウィンナワルツなんかやりません!

でもねぇ。 モッともっと上にいけるでしょう?

今は、さすがにホーム以外何処にも行かないから、比較が
出来なくてこまるけど、皆、緊張ってのがなさ過ぎるよ!

そりゃあ、うちは年だけは重ねた老練なオーケストラになってます。
すでに設立10年目以前から、ある種の巧みさ(大学オケをしっかりと
こなした経験者の集団)という傾向がありました。
 とくにワルツの手馴れたところのまとめとか、アマチュアなら天下
一品級と褒めたいところも多々ある。 でも、その緊張のなさが、つまり
「一発目の音だしで勝負決めろ」というところが全くない。

だらだら練習しても意味ないんです。 お分かりか。

2010年10月8日金曜日

『新世界より』 ドヴォルザークの郷土愛?

ドヴォルザークがアメリカでチェコを想って書いた曲だという。
懐かしい思い出の詰まった音楽だ。
誰にでもそうなるように、仕掛けられている。
いまや、あの有名な第二楽章のテーマは、薄昏に防災無線スピーカーから流されるため刷り込みされている子供も多いと想う。

オーケストラで練習中に涙が出てくることが時々あるが、この曲にはそういう場所が多々ある。

うちのオケで、
ドヴォルザークの交響曲第9番に取組んだのは3回目らしい。
最初の取り組みは第5回定期、今や第28回ファミリーコンサート。
12月12日・東大和ハミングホールでの本番に向けて毎週練習している。

あれから23年の月日が流れたけれど、あの時と変わらない譜面なんだよな。

 個人的にも演奏会曲目として参加するのは3回目。 1回目はなにもわからない無骨なチェロを弾く高校生だった私。結局大学に行くのに挫折してあとはずるずるだらしなく適当な人生、身を持ち崩して終わりかと思いきや、捨てる神あれば拾う神あり・・・下も見たけど、家庭も持ち、子供もしっかりそだち、飯もまあまあ食える。まあ幸せとはこんなものだと思えばこその人生か。

こうして生きてまた若い頃(苦い頃の)音楽に再びめぐり合うことを喜ばなくてはね。

2度目は、エキストラ・・・多少は緊張したけれど、もう既に曲を知り尽くしていた気がした時分の間違いにいっぱい気が付く。高校時代の甘い読みで何がわかったというのだ! ここで又一つ進歩した。約17年を置いての再会は、私の技術に多少の進歩を与えたのだ・・・というほのかな確信を得る。

そしてまた、6年ぶりに出会う。 今度はチェロパートのトップである。 もちろん第二楽章デュオは美々しく、そして最後はチェロコンチェルトのように、高校時分には眼もくらんだろう高い高い変ニの音をらくらくと取れる・・・。 なんて楽しい音楽の時間だろうか。

諸君、アマチュア弦楽器奏者は諦めないこと。 何時までも、しつこく弾いているとそのうち成長できます。ただし、武者修行は過酷なので覚悟するように。 先生についてレッスンするのはとてもいいこと。

余裕を保つための個人練習をやろう。

私とドヴォルザークについて

今、序曲『自然の王国で』を聞いている。

これは三部作(自然、祝祭、愛)を通して描いたドヴォルザークの音楽的人間論。
その「自然」という人間が抗いがたい世界。それは田園風景ともちがう。

この曲は珍しくメロディはあまり多く詰め込まれてないけれど、どうにも印象深いものばかり。ドヴォルザークは色鮮やかな世界を作り上げられる19世紀最大のメロディーメーカー。ブラームスをはじめとして多くの作曲家が嫉妬したのだった。

きわめて平明な音楽だ。譜面もきわめて簡明だが、けっしてチェリストにとって容易であると言い切れない(笑)

今から何年か前に小金井市民オーケストラで演奏会曲目に取り上げられてまさに親しくなるまで弾いたのだけれど、やはりまだまだ落ち着いてその色合いを感じ取れるまでに至らなかったことが悔やまれる。

そう。「もう、聞き飽きた」と云う曲はしばらく寝かせてから聞きなおすことは大切だ。

これに続く『謝肉祭』もミューザ川崎が出来たときにアマチュアオーケストラの集団に混ぜてもらって弾いた。 これもアマチュア・チェロ奏者にはそれほど易しくない世界だけれど、この曲を経験した辺りからト音記号の土地勘が付いてドヴォルザークが弾きやすく感じられるようになる。


交響詩『野鳩』も、蒲田で演奏会をするアマチュアオーケストラの末席で弾いたけど難しいんだよな・・・チェロパートは。 自然の王国のほんわか感世界とは正反対。暗くて暗くて・・・息苦しい。 第七交響曲の切迫感にも似るけれど、生命感に溢れる感覚ではなく
ここには薄ら暗い殺人の暗示がある。

いま聞いてみたいとは今思えないけれど、そのうち聞けるだろう。

ドヴォルザークは自分がその音楽を余裕を持って受け取る側に行けば行くほど嬉しくなってしまう要素に溢れている。 まだまだいろいろある。