2013年2月22日金曜日

モルゴーア/21世紀の精神正常者

しばらく下書きのままに放置されていたので出してみる試み。 浜離宮ホールが異様な音響に浸された夜。 何の変哲もない弦楽四重奏の形式で。

モルゴーア・クヮルテット 20周年目に、ついにというか今までやりたかったモノを蔵出しし始めた感じがする。

僕自身は15年前にイイノホールでの演奏会が印象に強い。 少しずつショスタコーヴィチのQuartet全作品を極めようという、この弦楽四重奏団の野望は、いつの間に叶えられてしまった。 

思えば、わが豚児も15年前の演奏会の翌日に生まれた。 嵐の日だった。 子供が生まれて、アマチュアのオーケストラ活動が一時期遠くなり、荒井先生とは縁遠くなったと思ったら、最近、また荒井先生の門下の方とお近づきになるチャンスがあった。それからモルゴーアや風天雷舞などの演奏会、いや荒井先生の息吹を感じさせる何かが近づいて来た。  ジャンルを超えた音楽に対する敬慕、熱い思いが、恐るべきアンサンブルテクニックで繰り出されているこの演奏は、21世紀の精神正常者たち で聴くことができる。 ぜひ聴くべきだ。

ペ・ヨンジュンがマーラー、ロッシーニ、バッハ、モーツァルトって何。

BYJ Classics/The Scenes-Art ・・・うーむ、この路線で来ますか。ちょっとびっくりしたので張ってみた。

2012年6月20日水曜日

プレーンガット・チェロ そろそろ半年。

そろそろプレーンガットを張ってから半年になる。

経験がない弦の種類で、周りにも経験者が少ないため手探りだ。
合奏団体にいれてもらったけれど、ガット専門のチェロの先生の
下に就かないとわからないだろう。

モダン楽器のガット化にはいろいろ難があるという説がある。
一度だけ馴染みの楽器工房に見てもらったけれど、特に問題無いといわれた。
ドイツの工場製品で、30年前に作られた楽器。昔は高い音が余り魅力的で
なかった。 今は良く鳴るようになって来ている。やはり調整もあるし、
駒がこなれてきたりと色々とある。

ガット弦を張るにあたっても、ヴァイオリンくらいセンシティブなもの
になると、テンションと楽器の反りを調整する必要があるため、一概に
モダン楽器をプレーンガットにすると問題が起きるという話がある。
でもチェロの場合はどうか?

季節の話、まだ夏を越したことがないからエラそうなことは書けない。
でも冬場に比べてコントロールしやすいように思う。多分温度差だろう。
どんなに暑い日でも摂氏50度は超えない。室内は20度以下にはならない。

大体こうなると、楽器は25度から40度の環境に置かれると思われる。
40度というのは、日当たりのいい場所を避けても起こりうる最悪の場合
であってそこまでは上がらないだろう。


弦にとっては、冬場の方が結露したりするために表面に水分を含んで
しまいおかしな状況になる方が辛いと感じた。これは練習場に持ち込んで
暫くは音程が定まらないで困るという経験を冬場続けていた事による。


でも夏場は逆だ。弦は温度が上がっても水分を吸収することは少ない。
今使っているのは、2月くらいに注文して数週間張って使っており、
表面コート(膠水だろう)が剥がれたが、その分オイル漬けにして
しっかり油で染ませてあるプレーンガットなので、水分が吸収される
ことはないとも思われる。結露が起きるとすればエアコンの効いた
部屋から暑い所に持ち出す場合だけれど、練習場所の方が、普通は
湿度が低いと思われるので、それほど差を感じなくなっている。

あとガット弦も少し古くなったので所謂枯れてきた状態なんだろう。
もう少ししたら新しい弦を買い、調整していかないと駄目かもしれない。

夏場、湿り気で、楽器がテンション負けしてオジキをする季節。
逆に冬場は楽器が乾いてテンションに拮抗して反り返る季節。
こんな話を聞いたことがある(説の正しさはわからない)

テンションと音程の関係は、弦の太さと重さに関係するため、
一概に言えないと思うが、明らかなのはプレーンガット弦は
スチールコア弦よりもテンションが小さいってことだ。
これは弦の芯材が軽いためだろうと思われる。その代わり
弦は太くて音量は小さくなる分音色はまろやかになる。

これが露骨に判るのは低音弦。C線などの振幅幅はテンションが低いから
力を入れて擦ると、スチールコアの倍くらい広がってしまう。
あまりに振れ幅が広いため隣の弦を摩したり指板を叩くこともしばしばだ。



一定の材質なら弦の太さ=重さなので 、すべての弦をプレーンにすると
G/Cはおそらくコントラバス弦なみになってしまい操作性が問題に
なるため、重さを加えるために巻線が用いられている。

弦のテンションと楽器の指板の問題はともかく、今は楽器への弦圧力
負担が少ないために、以前より夏冬の変化はないと思う。
無論、楽器職人に楽器を作ってもらっていれば、寸法変化などのいろい
ろ細かいことを聞けると思うが、未だその縁は訪れない。


昨日取り替えてシルバー巻弦と言われる弦。前回の使用後、
油漬にして保存したのだが、緑青が発生してそのままにしていたため
一部が黒緑色になっていた。仕方ないのでコンパウドで磨いたところ、
黒い酸化膜はとれてきたものの、巻は銅芯銀メッキ線だったらしく
赤くなってしまった。安い弦だから仕方無いようだ。

弦の値上がりが噂されている昨今、円高なのに日本から金を絞りたいのか?
ガット弦も自作の道に行かざる得ないか! 実家に弦制作工房を構えるか
真剣に考えてしまう。 まあ、まだ検討の段階。 何時? それ乞うご期待!

2012年2月11日土曜日

GUT!

昨年末にガット弦を張ってはや2ヶ月が経ちます。
どんな感じかと云いますと…

  1. 緩いです
  2. 左手楽です。
  3. 音程に敏感にならざるをえない。
  4. 大きな音、やっぱりでません。
テンションは全般に小さくなります。スチールは弦によるテンションに差があるようですが、すべてガット弦にした場合そういうものがなくなり、均等になります。

奏法に制約があるとすれば「斜めに無理やりテンションを加えるようなスチール弦で使える素早い立ち上がりを狙うボウイング」は全て禁忌です。というか出来ますがノイズがひどくなり使えません。

左手は素早い運指ができるようになります。テンションが小さいのでしっかり押さえるのに力は要りません。逆に生ガットは滑りが悪くなっているので、弦のメンテナンスが重要です。滑りと扱い傷からくる湿気を防ぐために保護オイルはこまめに塗布したほうが良いようです。

音程は、安定してくれば問題がなくなりますが、伸びきってしまうと死んだ音になるのはスチール弦と同じです。ただし生ガット巻線が無い所は傷がつきやすいため、そこが音程面で「スイートスポット」になるか雑音になってしまうか微妙なところです。

既にモダン楽器群の中で演奏会に乗ったりしましたが、安定した弦の状態なら遜色は感じられません。もちろんHIPな演奏に興味があるグループで演奏する方がかき消されてしまうことは無いのでいいと思います。

ヴィブラートに関して言うとユックリと小さな振れ幅しか得られません。元々合奏する際にはヴィブラートを使わなくても響きが豊かなガット弦で使わないほうが良いとされるわけですが。

2011年12月13日火曜日

ガット弦挑戦記 その1

前の投稿の続き。 とうとう届きました。ガット弦に挑戦の記録をつけます。
何の知識もない私が選んだのはPIRASTROのChorda。

インターネットも何もない時代だったら、あちこち苦労して探したのでしょう。
無論そんな時間も気概もない私には踏み出せない一歩。でもObligatoを買うくらい
なら、いっそのことガットにしてみようという気になりました。
そう。我々、西洋の弦楽器を奏するものが一度は挑戦すべきはナチュラルガットですよ。

・注文してみる

とりあえず安いのでいいから一セット頼んで見ました。インターネットで。
でも、どこのメーカーが良いのかもよく知らず適当に選んでしまいました。
後からTOROが良いとか色々聞き及びましたが、全般にガット弦の情報は少ない。

・手にしてみた。

挑戦したことのあるヒトから聞くと「音が変だから辞めてしまった」-「−すぐ切れた」と
いう話を聞きました。 入念にインターネットを調べると

『ナチュラルガットは、まずオイルに漬けて!』 という事が書かれていました。
英語のガット弦関連のフォーラムでも「メンテナンスオイルが得られているから使え」
という話。

ガットは要するに肉の腸詰を作る「ケーシング」の部分をより合わせたもので膠成分が主体。実際に手にすると『黄色いスパゲッティ」みたいなモノが丸まっています。

CHORDAの場合は、ADの弦2本はナチュラルガットそのまま。 ヴァーニッシュされ
ているのかよく分からないです。GC2本はシルバー巻です。 芯はガットでしょうね。

・油漬けにしてみた

とりあえず書かれているとおり「1日ちょっと」オイルにつけて見ました。10日も漬け
ろと書いてありましたがそんなに待てません(笑) 使う度にオイルを塗り直す様してみました。猫にいたずらされないように金属の箱に皿を入れて高い所で保管。

・張ってみた

ちょっと忙しい時に手を出して張り始めて、その手間にちと焦りましたが 
なんとかなりました。 問題は二つです。

 1. テイルピースのアジャスタを全部撤去
   2.  弦が当たるところの調整

 テイルピースと弦を取っ払う作業をしたら多分サウンドポストを調整すべきで
しょうが生憎とそういう道具を持ち合わせてないので楽器屋に相談しなくては。
 コマの方はとりあえず油を染ませて見ました。滑り材が仕込まれている駒です。
これも楽器屋で別途新しいのを用意してもらうほうがいいかも。

・弾いてみた
張って弾くのは翌日ですね。その日は使いものにならない感じです。どんどん延びる。
しばらく延びるでしょう。 毎日音が変わってしまう。今日で5日目ですがそろそろ
安定してくれると思います。

・チューニング

ペグだけでやるのはやはり疲れます。でもテンションがそれほど高くない感じです。

・アンサンブルに行ってみた。

段々と慣れてきますが、弾き方が難しい。斜めにこするとひどい音がします。縦方向
に動かすような弾き方はガットが許してくれません。 でもいい音もしてる気がする。

・弦のクリーニングは?

クリーニング剤を買えみたいな話がありますが、今は最初に浸漬させた時のオリーブオイルを塗っています。表面がササクレてくるのが怖い。とにかく軽い油を着けて表面を滑らかに抑えることが肝心なようです。これは生き物のコラーゲンだということを意識しないとだめです。ヴァーニッシュは多分透明なネイルカラーみたいな保護効果を狙ったものでしょう。ささくれが出来ないようにすると長持ちしそうな気がします。
というガット弦挑戦の最初の一週間目の報告でした。
 




2011年12月8日木曜日

11月末の演奏会と私の歴史について

私の育った小金井市のアマチュアオーケストラは2つ。その古参のオーケストラに
所属する私。今年でもう何回、演奏会でチェロ挽いたのだろう。数えてみる。
録音DATを某氏から預かった。Wavファイルにに出来ているものはある。
だめなものも多数あった。

その前に、今回のファミリーコンサートについて少し書く。
練習がこれまでの演奏会に比べて非常に短い期間(9月からはじめて11月末に仕上げる)というタイトなスケジュールであったにもかかわらず、本番ではチェロパートとしては80点〜90点くらいの仕上げになったと思えるくらいだった。無論、アマチュアだからがさつなものは残るが、それにしてもこの短期に、新人1名を加えてエキストラ多数の中、難曲と思うベートーヴェンの交響曲第4番に取り組んで崩壊しなかったのは奇跡的だった。私個人としては70点くらいの出来と諦めていたが録音を聴くと意外や意外!ウィーンホールという日本でも随一の音響効果を持つホールに助けられていい演奏会になったと思う。 こんなにいい演奏会だったのだから、もう少し宣伝すればよかった。

では、今までのチェロ戦闘の歴史を明かすことにする。

私が高校1年のことだ。 中学のOBが先輩風を吹かせてOBオーケストラに入れというのだ。彼らは強引に卒業したばかりの私や同期をOBオーケストラの演奏会に載せた。練習は滅茶苦茶だったし、まず選曲が酷かった。練習と称してドヴォルザークの交響曲第8番の譜面をいきなり初見で弾かせて弾けないと腹を立てるチェロの大先輩。オーディションを受ける覚悟でもないのにあんなものが碌々練習もできてない3年目の小僧に弾けるはずがない。 挙句、その曲ができないと悟ったのだろう、『魔笛』『ブルッフのVnコン』『ビゼーの交響曲』という曲になった。 この時のエキストラには後に出会うことになる。
学校が小平だったので、東村山の友達も多かった。その一人が東村山のアマチュアオーケストラに誘った。そこは今や、チェロの大先生が団長を務めるアマチュアオーケストラでチェロもたくさんいるオーケストラだが、当時はチェロが払底しており私よりもはるかに年上のアマチュアプレーヤたちがわずかに在籍していた。彼らはレイトスターターだったのだろう、私も、まともにレッスンについていたのが1年あるかないかだったわけで粗暴な高校生の私の雑音に耐えかねたのか、彼らは私が来るとすぐにもトップの座を明け渡してしまった。夏ごろから演奏会に向けてベートーヴェンの『英雄』の練習をしていたのだったが、折しも指導をしていた方が亡くなってしまうハプニングを迎えた。 チェロの彼らも次第に練習に来なくなってしまい、ひどい時期には私が一人で「チェロパート」を支えることになった。この時期から私のチェロ一匹狼状態が約束されていたようだ。 エキストラの方を数名加えての演奏会は、たしか『ピーターと狼』でこれはディヴィジョンで弾くべき重音が山のようにあったが、かじりついて弾いたものだった。またエキストラというよりはオーケストラ以外の小さなアンサンブルにもちょくちょく誘われて、バッハのブランデンブルグ5番のチェロ(一人)なども演ったような記憶がある。
この時期ドヴォルザークの交響曲第8番を演ったと思う。その際東村山に見えたエキストラのSさんとMさん(おねえさま方)のクルマに乗って食事をしたことを覚えている。その時私は見出されたのか誘われたのか?よく覚えてないけれど、彼女らが実家のある市内にオーケストラのメンバーだったことをこれ幸いと、チェロの居ない東村山のオーケストラから移籍することにした(逃げたとも云うだろう)。 その当時は何処に行くにもナイロンケースの楽器の袋に詰めて移動していた。歩くことばかりだった。自分の町のアマチュアオーケストラに所属することでようやく彷徨えるチェロリストはホームを持つことができた。未だ働いてもいない私にとって、オーケストラの練習に移動する費用だけでも厳しかったので、私が辞めることを止めることは出来なかっただろうと思われる。

小金井の歴史

第3回のファミリーコンサートは、中学の先輩が出るというので聞きに行った記憶がある。確かバッハの二つのバイオリンのための協奏曲だった。この時に市民のオーケストラ存在を知っていたが、中学生だった私はこの楽団に縁があるとは思っていなかったのだろう。実は当時から中学生が楽団にいた事を知っていたら、入団したかもしれない。

第4回ファミリーコンサート ← 1987年かそこらだ。高校生の時分。
曲は確かフィンランディア、カレリア、未完成…なんというか余り覚えてない。
第5回定期演奏会      ← 1988年春の話だと思う。(カセット録音がある)
曲は確かドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』とハイドンの『時計』。
練習回数の多さから、トップサイド(1プルト裏)というビックリなポジションに抜擢された。

第5回ファミコン 覚えてない。←ホームページから見た。省略。
第6回定期     ほとんど記憶なし。
第6回ファミコン
・・・ ええいめんどくさい。

http://www.koganei-civic-orch.org/rireki.vol6-10.html 

そうだ。10回までは確実に演奏会をこなしたはずだ。
11回辺りから少しずつ記憶があるというか、デジタル媒体での記録が
出てくる。


第11回定期  ← これはDATデータをWav化した
〔日時〕平成5年5月23日(1993)
〔会場〕ルミエール府中
〔指揮〕藤本 潤
〔曲目〕
シューマン:交響曲第4番
ドビュッシー:小組曲
モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲


第11回ファミ       ← このDATはデータが壊れていた。
〔日時〕平成5年11月28日
〔会場〕小金井市公会堂
〔指揮〕城谷 正博
〔ナレーション〕池本 実千代
〔曲目〕
ベートーヴェン:交響曲第1番
ビゼー:「カルメン」組曲
アンダーソン名曲集


今や、日本のクラシック音楽業界でも幾分名の知れた指揮者の名前がある。
1993〜1997年という時期は、エキストラを幾つもこなしていた時期でもう弾けないと思うくらいだったはず。自動車の免許を取得したこともあり、徒歩+電車+バスというチェロを担いで行くと辛い場所でも気軽に出かけて活動範囲が広がっていったのだ。 小平、清瀬、稲城、三鷹・・・ 正直この時期は年4回程度のペースを超えていたはずだ。仕事が忙しいので少し減ってはいたものの…

結婚。川崎に移り住んで、1997年6月に息子が生まれて仕事も忙しくなったことがあり、2002年までまる5年楽器を封印していた時期がある。この時期を過ぎると、この封印時期の反動であろうかエキストラを引き受けまくることになる。 2002年の第20回定期はほとんど記憶がないものの、シューマンの交響曲第一番だったことは覚えている。封印を解いた時期のチェロは鳴らなかったが、勘と腕は戻りつつあった。以前はトップだったのだが、後ろのほうで弾くことになったのも懐かしい思い出だ。この時期は川崎にもオーケストラがあり、ミューザ川崎が出来上がる事も聞いていたので、オーケストラに入ってみようという気になった。高津にはしばらくお世話になったものだ。この時期は二足のわらじ状態で土曜日・日曜日完全に塞がることが辛くなっていった。 2003年12月にミューザ川崎が竣工し、夏の演奏会と冬の第9が終わる頃には仕事に無理が出るほどになりつつあったので、これを機に高津をお休み(自然に退団)ということになった。今の自宅は高津が近いのだけれど。

2002年に、エキストラ活動が活発化した夏、これもちょっと弦楽器の難曲に数えられるシューマンの交響曲第2番に取り組んだ。今も良くエキストラでトップの方が来てくださる某オーケストラのエキストラだったけれど、当時新進気鋭の山田和樹氏の指揮で演奏会に。翌年はチャイコフスキーの第4交響曲という疲労困憊する難物をに取り組んだ。寒い時期に合宿に息子と家内同伴であったが、この時の印象が凄まじかったのか、我が豚児の将来が決まってしまったようだ。それはそうだろう。子供の世話を交互に見るついでに二箇所のオーケストラの練習に付きあわせたり、エキストラがあればそこにも連れて行くという事(音楽を聞いて静かにできる事が条件だったがこの条件がこなせるようになっていたこともある)がどれだけ影響与えたかわからない。

2005年ころからは、ミューザで知り合った方が、 2002年に山田和樹氏が振ったエキストラのオーケストラでも一緒だったことを知り、以来この方から多数のエキストラ紹介を受けることになる。あまりに多かったために私も全て回れなかったりした。有名ドコロを紹介されたけれど、エキストラも回り過ぎてカラダに支障をきたすほどだった私は、2007年頃からすべてのエキストラを断った。 この時期に小金井の関係でもエキストラ話しはいくつかあって、アマチュアだかセミプロだかよく分からないオペラに参加したこともあった。今から思えば不勉強極まりない事が何度も何度もあって・・・さらう時間も調べる時間すら無くて残念な物が多かった。エキストラやイベントオーケストラが嫌になったのは、自分のさらう時間も足らず、音楽に対する興味が涌かなくなるほどの忙しさがあったのだ。

2011年晩秋、小金井市民オーケストラは第29回のファミリーコンサートが終わって、本来ならば、記念すべき第30回の定期演奏会のための時期に入っているはずだったが、2011年3月11日の東日本大震災による影響で、2012年3月11日までは、小金井市民オーケストラ主催の音楽会をすることは見送られた。

僕の意見は『主催事業をやらないオーケストラは解散したも同然」だとおもう。 
だから第30回が連続して行われている定期演奏会として再開できるかは、3.11の
演奏会後の有志で出た皆の心と、出られなかった人々の気持ちが集まれるかどうか
だと思う。まあわずか3ヶ月だから…というが、僕はおかしな話だと思っている。

そして、僕は3.11のイベントに参加しないという選択肢を選んだ。

理由? 僕は『主催事業でないエキストラメンバーとしての小金井市民オーケストラの有志』であって実態は別な演奏団体がコアになるであろうという形式では満足ができない。しかも『Requiem』だ。 こいつはイベントもので載ったことがあるが、トップ奏者としてではなかった。トップの奏者連中は最後の頃に来て勝手なことをいうだろう。あんな演奏会までのやるせない練習はもう懲り懲りである。 そして、もめにもめている小金井のホールに関する限り政治的な色合いがないとは言えない。 オーケストラの規約にも随分と外れている。 私だけの経験であったとしても、イベントものは数回やって懲りた。『イベント一発オケ』の嫌な経験を積みすぎた僕は新しい団体に所属することで、ささやかな抵抗を示すのは間違いだろうか?

ガット弦と

ガット弦を買った

むふふ。来年からちょっと変わったことにチャレンジするのだ。
楽器は変わらないけれど、ガット弦を張るのだ。そうモダン楽器に。
それからガット弦の弾き方を研究しなくちゃならん。 なんとまぁ。

ホームのオーケストラは団体としての活動が宙ぶらりんになってしまっている。
主体性なき演奏団体がイベントオケに随身する人たちの集団に変わった。
それなら俺は別の所で別なものにチャレンジさせてもらう。
それが戦闘的テェロリストの生きる道だ。


2011年5月31日火曜日

定期演奏会を終えて

第29回の定期演奏会が終わった。
定期演奏会5回からの縁のあるオーケストラ。

あの当時の想い出を紐解くのは空恐ろしいこと。
勝手な気持ちで封印した苦い思い出ばかりだから。

譜面を見れば思い出すOBオーケストラの想い出。

HARMONIZEという今はドウナッタノカ?という音楽集団。
指導者もおらず兎に角若いだけが取り柄の恐ろしいほどの
思い込みで作られた音楽。 形ばかりこだわり未消化の
音楽を皆に聞かせようなんて、今思い出すだけで赤面もの。

当時も赤面モノの素人音楽会であちこちに関わって居たのです。
プロになる修行をしていれば今頃は別の世界にいたのかも。

あの技量で、あの体たらくで、あんな音程で…

思い出すと、どこかで『くるみ割り人形』で何故か褒められたことが。
今弾いてもやはり難しいチャイコフスキーの音楽。当時のあるアマオケ
では、若い癖に独りでトップを弾くハメに陥ったことを覚えています。
案外やさしいといわれるチェロでも大人になってから学び始めたまだまだ
弾けない人の集団では若いだけにさらう時間もあり、正に鳥無き里の蝙蝠。
いくら下手くそでも演奏する内容がプロと同じであれば、ついに演奏技術より
センスの問題という音楽演奏の恐ろしい淵辺を覗かされていました。

で、返す返すも思うのですが、ほんとに未だに下手くそです。僕は。

こんな事を昨日言われて刺さりました
「・・・さんは、気持ちが込められてるところとそうでないところの
音の違いが明らかにある」

そうです。今回どうしても集中ができなかったことを悔やんでいる。
あの場所、あそこで、落ちはしなかったけれど音が出てない!
戦いの場でフォローできなかった戦士。悔やんでも悔やみきれない。

舞台では自分の弱さとの戦いだということに未だに苦しんでいます。
この苦悩から開放されるためには、もっと技量を上げるばかりなく
ココロの鍛錬が必要だということも。

2011年1月1日土曜日

大晦日はマゼールでござる。

マゼールさんのベートーヴェン連続演奏会。
在りし日の岩城さんの記憶もすごかったが今回もまた。
USTREAMで、すばらしいモノを共有させて頂いた。
さすがに負荷が高くて音が途切れたりしたけれど、
どんどん増えていくオーディエンスによく耐えて
まあ最後までみることができた。

自宅でこんなものが手軽に見える時代なんですね。
21世紀だなぁ。20世紀後半に生まれてミライに
やってきた感がしたのです。

2010年12月8日水曜日

ミリ秒単位の音楽

昨日ふと思っていたことを書く。

音楽はいわゆる空気振動だから、物理学の法則に従って
媒体中の「音速」に左右される。 つまりだいたい
秒速300mくらいという時間的制約をうける。

30メートルくらい離れると、0.1秒遅れである。
15メートル離れて音を聞いてから同時に出すとなれば
最初に発音したヒトの時間系からは当然0.1秒
遅れることになる。  指揮者の棒と音楽のズレを
認識しないとトランペット奏者は勤まらないだろう。

音楽的にずれが発生する距離を考える。

一秒間に ”だるまさんがころんだ”を早口で言うことが
可能ならば、技量的な問題は抜きにしても器楽音楽的にも
その表現が可能であろう。つまり ♪=120なら32分音符の
刻み位のズレが30メートル離れると聞き取られる。
16分音符ならその倍60メートルくらいである。

 つまり演奏会場が大きければ残響もそうだが直接の音も
ずれ始める。 実に興味深い現象。 大編成の対向配置オーケス
トラは1st/2ndバイオリンが同じ音でトレモロ刻むだけで
エコーがかかる。

 バンダを会場の遠くに設置すると、大抵遅れてしまう。
彼らにはヘッドホンを与えないと駄目なのだ。

 世界同時中継で演奏会をやるなんて話は結構あるが、
この技術的問題をクリアしてるのだろうか。

 個人的には仮想的演奏会場を、ネットワークの技術で
実現できる時代が近いと感じるけれど、ミリ秒単位で
同期できるかが鍵である。人間の耳はおそらく1ミリ秒の
ズレを感知できるはず(僕は左耳が悪いから無理)で、
それで位相差をキャッチしているのだから、ミリ秒ズレると
エコーと位相差で、敏感な人は気持ち悪くなるだろう。

5m秒くらいですでに1.5mくらいの距離がある。誤差ではなく
音楽的な時間設計があれば、5m秒のズレは自然な演奏家同士の
距離として認識可能はず。

なんてことを。

脳内音楽

演奏会のアンケートや、感想の中に「場内に…」という苦情が多いが
特に多いのは「子どもが五月蝿かった」「・・・が気になった」とかいう
話が多い。

もちろん演奏するのも生身の人間である。しくじることはプロでは
あまりないが、アマチュアはしょっちゅうだ。安っぽいホールでは椅子も
碌々管理されていないので、ぎちぎちという音がする。無料コンサート
では客を選ぶことができないので、酔漢が暴れるなどの話があった。

最近聞くのは、補聴器がハウリングを起こすという話。コンサートホールは
残響が大きいし補聴器からの音漏れをよく拾ってしまう。聴く側もピア
ニッシモを捉えたいと必死にゲインをあげるが逆効果になってしまう。

こういう例外的な問題は、すべて「ノイズ」という点に帰結する。

ノイズや、認知科学の専門家ではないので、細かい技術的な話は抜きにして
「人間の中で音楽を感じ取れるのは大脳」だということから、脳が音楽と
いうものをどう捉えるかに関わることについて、日々思いを巡らせている。

鑑賞する側はもちろん、演奏する側の脳内音楽というものがあって、
実際に耳に捉えられる刺激が音楽として理解されるかという点において
このノイズはあまり関係がない気がするのである。

 音楽を楽しんでいるのが大脳である以上は、その脳の中でフィルタされ
さえすれば、かなりのノイズをガマンできる。 いや、脳が記憶した音楽を
奏で続ければ、「空気を震わせる」音楽など要らないのだとも。

 演奏会では会場からもたらされる残響、低音振動などの要素があるが、
これらがむしろときおり不快なものにすらなっていることがある。ノイズ
としてではなく、音楽として自分の中に定義できてないモノもあれば、非
音楽的要素すらある。

 録音物、音楽媒体に加工して保存された演奏記録は、これらの非音楽要素が
クリアされているため、実際の音楽会場では、もっと多くの喧騒と非音楽的な
反響に満ちていることを忘れてしまう。 プロオーケストラの演奏会場を
自分のリスニングルームと勘違いして会場に赴く人たちが多いと聴く。自分の
耳の劣化に気がつかないレベルで、ノイズばかり気にしていることは、大変
もったいないというか、もちろん自分にも当てはまるけれど、神経質になり
すぎて楽しめないことがあることは、悲しむべきことだ。

 脳内での音楽的な感覚トレーニングを続けることは、音楽家を志すならば
絶対条件かもしれない。こういったコトは誰も教えないし、感覚で分かる人は
すでに天才である。 相手にどう聞こえるかを意識せずに滔々と自らの紡ぐ
音楽を相手に丁寧に渡せるかが鍵なのだ。 ノイズを忘れさせるだけの
脳内音楽を相手の中に転送する技術と言ってもいいかもしれない。 かなり
秘儀に近いものを感じる・・・。

2010年11月26日金曜日

ドヴォルザーク交響曲第7番

弾くに弾けないのは辛い。
あまり書く事も無いのですが、

ドヴォルザークの交響曲第七番
のパート譜が出てきたので
ちょっと弾いてみたら悶絶モードに。

こんな激ムズな譜面だったっけなぁ。3回エキストラで
3回目でようやく問題点を理解したのだけど・・・

『詰め込みすぎ』

この一言に要約できますね。ブルックナーが

『薄めて繰り返しすぎ』

の、経文的恍惚感なら、こっちは激辛激甘端折り過ぎ(笑)

普通の作曲家で第7作目なら、もう手馴れて余りムチャはしない
と思うんですが、このメロディーメーカーさんは、自身が持てる
短調の物悲しいモノ全部詰め合わせアソートボックス化した
交響曲を世に出してしまいました。 もう少しゆったりところが
長いと楽なんですが、弦楽器には休む暇なく、低弦も容赦なく
切分音と刻みを交互に与え、チェロにはその合間に面倒な合いの手を
入れさせるという、豪華絢爛お涙チョチョ切れの盛りだくさん。

あまりに複雑な要素が短い時間に凝縮しているためか、音楽的な
流れが全く覚えられません。多彩なフレーズは頭の中でゴッチャに
なって旋回するという感じですね。 コレに似た感じなのはチャイ
コフスキーの交響曲第四番ですがアレよりは救いがあるのに弦楽器を
もって弾く側の負担は半端がない。管楽器も折り重なる部分とか、
メロディーラインがしょっちゅう割り当てられて目立たないところが
無いので気が休まりませんでしょう。

練習15分で投げ出しました。 腕が更に重くなったのです。

あるところで先生が語ってたのを思い出しましたが、
交響曲第八番の第三楽章が女の子の踊りなら、交響曲第七番は若い男性の
活発なダンスだという・・・。 この若者はあまりに乱暴で活舌がワルイと
殴られそうです。

2010年10月23日土曜日

今日の練習

肩壊れて、腰も痛いけどとりあえず練習はする。

やっぱりバッハの無伴奏はキツイな。
考えると普通じゃない動きがおおいもの。

その点、ヴィヴァルディの伴奏付きソナタは楽つか
まあ技巧的な場所も多いんだけど、弾くこと考えて書かれてる。

ま、学生向きに書いたものでもあったと思う。素直な並び・・・
いや当たる音も予想が付く。 
一方、バッハは無伴奏だけに仮想的なバッソコンチヌオまで弾かせ
るから自然と繋がり悪いの。 まんま鍵盤楽曲に編曲できるはず。

指が回るようになると、緩徐楽章(教会ソナタだから1,3楽章ユルい)が
初見で止まらないでいけるようになる。 

この調子で、フォーレのエレジーにに突入すると、何か前より
マシに成った・・・。

毎日弾けばモット良くなるだろうが時間が余り無い。

2010年10月18日月曜日

ヴィトゲンシュタインとマーラー

支配欲に満ちた指揮者をみていると
マーラーを連想する。

ウィトゲンシュタインが、マーラーを細かく観察していたという。
ヴィトゲンシュタインは、マーラーの音楽を評価しない。
ヴィトゲンシュタインは、マーラーの指揮についてこのように語ったという。

「・・・彼が居なくなると、オーケストラは崩壊した」

19世紀末から20世紀の初頭の短い期間、マーラーは非常に卓越した
音響感覚の能力をもって、各地の楽団の音楽監督を勤めている。彼はオリジナ
ル曲を作る傍ら、自らの感覚で曲の解釈を変更している。19世紀活躍した
作曲家はほとんど自作自演であり、職業的音楽家としての楽団指揮者に委ねる
場合、その解釈によって初演がめちゃくちゃにされることが多かったが、
無論、現代では考えられないことでもマーラーはその伝統に従ったことになる。
 ヴァインガルトナーも、ベートーヴェン解釈を加えているし、別にこれらは
19世紀末の所謂われわれがクラシックとよぶ音楽にオーソドックスなるモノが
存在してはいなかったことを象徴する。
 だがマーラーについてははその卓越した能力を強引な主張で打ち消すことに
なったということなのか。 東欧ユダヤ人の家系をもつ彼がウィーンでの活動に
終止符を打たざる得なかったもう一つの理由として、当時のウィーン人が強烈な
反ユダヤ主義を標榜する世論を忘れてはならない。彼は作曲家のキャリアをウィ
ーンではじめたのだったがほとんど省みられることはなかったのだ。
 オーストリア屈指の名家の出であるヴィトゲンシュタインは、幼少の頃にその
風潮を見て育っている。 彼は徹底した世紀末芸術の批判者であったのだ。

2010年10月17日日曜日

四十肩とか五十肩とか

かなり酷いので右腕が上がりにくくなっている。
握力も下がったので朝から練習をしっかりやることにした。

無音

休むべきではなく、音価を感じるべきなのが休符。

無題

伸ばすべきところをしっかり保てないのはココロが弱いからだ。

2010年10月14日木曜日

月曜日の練習を録音して聴いた。

私ども、東大和のハミング・小ホールを借りたのです。

普段は、比較的に響きも良い練習場ですが・・・・
さすがにホールだ、響き方が全然ちがいます。
天井の高い、広いホール。 
オーケストラの技量は常にホールに近い環境で
磨くべきだと思う。 反響板無しで吸い込まない
良い響きってのは、床に起因すると思う・・・

でもね。

"南国のバラ"
ばっらばらでしたね。

なんごくのばら
難曲のばっらばら。


修行が足りないつか、「何時も本番の緊張を持て!」

5年ほど前まで、私は、他所のエキストラやら掛け持ちを
良くしていたものです。

だから初回指揮者+初見とかで緊張したり、本番を駆けずり
回ってから、この 愛するべき、 "小金井市民オーケストラ"
つまりホームオーケストラの練習に来ると、ほんわかした=
なかば弛緩した練習ってのを感じてたんです。

そりゃ、ニヤリニヤリと楽しい音楽も良いですよ。 特に
お客さんを楽しませることを考えたら、絶対「しかめっ面」で
すごいだろう!ってウィンナワルツなんかやりません!

でもねぇ。 モッともっと上にいけるでしょう?

今は、さすがにホーム以外何処にも行かないから、比較が
出来なくてこまるけど、皆、緊張ってのがなさ過ぎるよ!

そりゃあ、うちは年だけは重ねた老練なオーケストラになってます。
すでに設立10年目以前から、ある種の巧みさ(大学オケをしっかりと
こなした経験者の集団)という傾向がありました。
 とくにワルツの手馴れたところのまとめとか、アマチュアなら天下
一品級と褒めたいところも多々ある。 でも、その緊張のなさが、つまり
「一発目の音だしで勝負決めろ」というところが全くない。

だらだら練習しても意味ないんです。 お分かりか。

南国のバラ


あれは、なんとあらわすべき音楽?
北方人の憧れともいうべきものですか?
イタリアから送られる冬場のバラ。

冒頭のフレーズでもう春の温かい風というか
少し潮のにおいすらする風が入ってくる・・・

蜂が蝶が舞い、
朝露がこぼれて・・・

そんなイントロダクションを書く、ヨハン・シュトラウス
(息子)は天才・・・。 モーツァルトとほぼ100年くらいの
ズレですがウィーンってのは本当に天才が集ったんだね。

シュトラウスJrのオーケストレーションってのは一種独特。
厳しい音楽の規則より直感的にいいもの、奇異に響きながら
絶妙なものがブレンドされます。 特にこの曲では、チェロが
後半のワルツで主題とはオクターブはなれて長3度下をなぞりま
すが、このオブリガードっぽいのって、シュトラウス以外じゃ
あまりないんですよね。 コーヒーに新鮮な牛乳を混ぜてカフェ
オレ、いやホイップした生クリームを添えたウィーン風かな。

この下の合いの手、ちゃんと音が出てないとダメなんです。
しかもしっかりとした音程で支えないと共倒れ。 台無し。

まるで親子のような関係。

歴史を紐解けば、シュトラウス親子は実に確執に満ちた関係。 
実に、ライバル同士でウィーンで競いあい・・・まあ、
息子の勝利は間違いない。 弟もなかなか秀逸。 天体の音楽。
あれもロマンチックですばらしい曲だ。 是非やりたい。

2010年10月10日日曜日

フォーレのエレジー

なかなか面倒。やっぱり伴奏のヒトと練習したい。
譜割もそうだけどね。
音程何だか判らなくなるところあり。 あと譜面が直感的でないやこれ。
アンメルの奴、最後の駆け上がる手前でテナー記号に入れかえると、
折れるように見えるから、譜面ヅラで間違って下に降りちゃうじゃないか。

高い音はなんでもないのに、そんなところで引っかかる。